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●諸子百家と就職活動
  中国の戦国時代は日本の戦国時代が“槍一筋”などの「武」を重んじたのと違い、「文」を重んじ、諸子百家(しょしひゃっか)が活躍しました。
諸子=多くの学者・先生を意味し、百家=多くの学派を意味します。春秋・戦国時代は既存の体制が崩壊して、将来への展望が開けない混乱状態でした。
そのため諸子百家にとって、内政、外交、軍事などの政策を模索する君主や諸侯に対して自分の思想や政策を売り込み就職する絶好のチャンスでした。
事実多くの諸子百家が国政に携わりました。

<諸子百家の主要学派と主要人物>
  ・儒家(じゅか) - 孔子、孟子、荀子
  ・墨家(ぼっか) - 墨子
  ・道家(どうか) - 老子、荘子
  ・兵家(へいか) - 孫武、孫臏
  ・法家(ほうか) - 商鞅、韓非
  ・陰陽家(いんようか) - 鄒衍
  ・縦横家(じゅうおうか) - 蘇秦、張儀

史記



●就職できず不遇だった孔子の生涯
 <孔子と礼学>
  孔子は紀元前552年に弱小国の魯で貧しい下級役人の子として生まれました。そして、低い身分のため上級の官職には就けず、小役人を務めるなど転々と職を変えていました。その後にわかに礼学の師匠を名乗って門人を集めはじめ、次第に門人の数が増えて礼学者としての評判が高くなると、高い地位を獲得して政治に参加したいという欲望が湧いてきました。しかし、身分の低い孔子が貴族と肩を並べて魯の朝廷に仕えることは身分制度が崩れかかった春秋時代の末とはいえ、無理な話でした。

<孔子の就職活動>
  そして、登用される見込みがないため魯に見切りをつけ、門人を連れて登用してくれる君主を探す就職活動の旅に出たのは56歳のことでした。これは孔子がすでに初老の域に入っていたにもかかわらず、いかに為政への執着が強かったかを物語るものです。門人の縁故を利用するなどして70名以上の君主に売り込みをしましたが、結局どこの君主からも相手にされませんでした。そして14年間の諸国放浪の末に魯に戻り、73歳で生涯を閉じています。

<門人の活躍>
  ところで孔子が看板に掲げた礼学とは周王室の王朝儀礼であり、一部の高級貴族か、儀式の進行を司った官職以外は詳細を知るはずがなく、ある人が孔子に質問したところ何一つ答えられず、答をはぐらかしたと言われています。また、孔子が生涯無位無冠に終わったことは儒家が唱える徳治主義(有徳の聖人が天下を統治すべきである)に矛盾しました。つまり孔子は有徳の聖人ではないのか?という疑問でした。 孔子の死後、直伝の門人たちは師匠の怨念を晴らそうと、礼学に関する古代の伝承を収集・整理し、孔子が門人に伝授する形で叙述する手法を用いて、礼学に関する文献などを書き綴り、偽装工作をしました。

<孔子が登用されなかった理由>
  いつ敵国の攻撃があるかわからない乱世の時代に、『乱れた秩序を回復するために、古代の礼制   を復元しようとした礼学』が君主に採用されることが極めて難しいことは客観的に見れば明らかです。人間の価値は縦横学的に言うと社会(空間)と時代(時間)の影響を大いに受けるもので孔子がどんなに有徳の聖人であったとしても社会と時代のニーズに合わなかったことに起因していたと考えられます。その証拠にその後、中国が統一され王朝が確立されると為政者に取って都合のいい儒家が重用され、日本の江戸時代にも大きな影響を与えました。
殷王朝末期の鼎



●就職できた縦横家
<蘇秦の就職活動>
  洛陽の人。秦の恵王に10回も上書したが認めてもらえず、失意のうちに帰国しますが、家族の冷たい仕打ちにあって一念発起して『揣摩の術』を完成したと言われています。その後、最初に燕と趙との同盟を成立させ、更に韓、魏、斉、楚の王を説いて回り、秦を除いた6カ国の間に同盟を結び、6カ国の宰相を兼ねました。この6カ国を同盟させ、強国の秦の進出を押さえ込もうとした策を6カ国が南北に縦に並んでいることから『合従論』を呼ばれました。

<張儀の就職活動>
張儀も最初は芽が出ませんでした。そして、楚に遊説した時あらぬ嫌疑をかけられ、500回もの鞭打ちの刑を受け、傷だらけの張儀が妻に『舌はまだついているか』と聞き、ついていると答えると『舌さえあれば十分だ』と言ったといわれています。その後も不遇だった張儀はすでに趙の宰相に出世した蘇秦を頼ったが、蘇秦は張儀をわざと冷たくあしらいました。その裏で張儀が秦へ行く路銀を間接的に与え、張儀が秦に仕える機会をつくりました。 張儀は蘇秦の計らいを後に知り、秦の宰相になってから、蘇秦が生きている間は蘇秦の合従の切り崩しにかからず、蘇秦の死後に「連衡論」で活躍を始めました。

●縦横家の語源
一般的な縦横家の語源は、蘇秦の合従策が秦以外の国が秦の東に南北に並んでいることから縦=従、張儀の連衡策が秦とそれぞれの国が手を結んだ場合それらが東西に並ぶことから横=衡となり「縦横家」と名付けられたとしています。しかしこれは本当の縦横家の何たるかを知らない後世の歴史家が勝手に解釈し、単なる外交の策士として位置付けているためです師ということで縦横家と言われました。陰陽家は家相や地相などから気象までも判別する人達であり、縦横家は人間同士のからみ、かけひき、人間性の特色を判別出来る人達であったのです。

<縦横家の祖、鬼谷子について>。
  正しい縦横家の語源は同じ「万象学」の陰陽五行説を土台とした陰陽家と区別し、縦と横の学問(子平法のこと)を持つ軍
縦横家の蘇秦と張儀の師で縦横家の祖である鬼谷子について、宮城谷昌光氏は著書『戦国名臣列伝』の中で「鬼谷子は謎の思想家である。楚人で、潁川のほとりにある陽城の鬼谷に住んでいたと伝えられるが、生年も歿年もわからない。
後にかれは縦横家の祖といわれるが、私見を述べれば、鬼谷子は中国に最初に現われた心理学者ではなかったか。心理学を兵法に応用したばかりか、弁論術を巧緻にした」と書いています。
鬼谷子がそれまでの「万象学」に思想学や哲学を結びつけた子平法は人間分析学であり、それが「算命学」です。
つまり算命学の元祖はこの鬼谷子であり、それを活用したのが縦横家の蘇秦と張儀であったのでした。 それでは何故、その事実が歴史的に記録されなかったのかという疑問が持たれると思います。
それこそ「算命学」の価値を知った秦の始皇帝によってその後、門外不出、一子相伝の学問として保護され、その後も歴代の王朝に受け継がれたことが原因しています。
そのため司馬遷の『史記』の中でも蘇秦が使用した「揣摩の術」(自分の心で相手の心を推し測る術)として紹介されるに過ぎませんでした。その算命学の中国での最後の伝承者であり、清朝の外交顧問であった呉仁和氏が清朝滅亡時に日本に亡命し、日本人の宗家高尾義政氏に算命学を伝承したことは日本だけではなく、人類にとっても幸運なことでした。

●東洋医学と同根の揣摩の術=算命学
<揣摩の術の原点の万象学とは>
  揣摩の術=算命学の原点は「万象学」であり、鬼谷子が万象学に思想学や哲学を結びつけて算命学を確立したと言われています。 東洋思想の源流である自然思想から人間小宇宙論や暦術が生まれ、それらを活用した神仙思想(永遠の生命や高い次元の精神を求めようとする考え方)の知恵から生まれたものが①医学=東洋医学②薬学=漢方薬③霊魂学=古代自然科学④精神修行の4分野であり、「万象学」は霊魂学と精神医術の流れを汲むものです。
万象学の内容は技術的なものではなく、古代の自然科学であると言っても過言ではありません。
その中心的なものは「気」の概念であり、人間だけではなく、この宇宙に存在するすべての動体(動物たち)や静体(自然の存在物)など形あるものには気が存在しているという考え方です。
そして気は動くものであり、気を発している大もとには気の集合体が存在しており、この集合体が「精神」であると考えました。そして人間は「肉体」と「精神」で成り立っており、そのバランスを取るのが「心」であり、そこに霊魂が宿ると考えました。
そして万象学ではその形をそのまま暦に用いた干支に当てはめました。
何故なら天地自然の真理が陰陽五行説にあるとすれば、人間も小宇宙であるので陰陽五行説が成立つはずであり、宇宙の法則(時間と空間)を暦に凝縮し得たなら、小宇宙の人間の暦も作れるはずだと考えました。
つまり大宇宙の暦を干支表示するなら小宇宙の人間も干支表示すべきであると考え、人間の出発点である「生年月日」を宇宙の法則に従って干支表示したのです。
そして「宇宙の空間」に相当するものを「人間の精神」として「宇宙の時間」に相当するものを「人間の肉体」としました。
何故「人間の肉体」を「宇宙の時間」と考えたかは、人間の時間を知り得るのは肉体の成長であり衰え、つまり年齢です。
一方、精神は時間の壁を越えて想念、思考の形で過去にも未来にも移行出来ます。
この人間という小宇宙を暦(干支)で表示することが可能であるとした万象学が算命学の源流となりました。

縦横家を伺い知る『鬼谷子』について
<著書『鬼谷子』とは>
かつて日本軍の情報参謀なら必ず一度は読んでおくべきと言われ、外交・謀略の原典と評された本が『鬼谷子』でした。
これについては鬼谷子自身が書いたとする説と弟子の蘇秦が自分の実行した外交・謀略について考えたことを整理記述したとする説があります。
「揣摩臆測(しまおくそく)」とか「権謀術数(けんぼうじゅつすう)」などの言葉の出典はこの『鬼谷子』です。
ここでは酒井洋氏が『鬼谷子』を訳した著書 ― 孫子が超えられなかった男『鬼谷子の人間学』― を参考にします。
酒井氏はまえがきで『この本を読んでみると、予想外のことに気づく、それははっきり言って「鬼谷子」は、①縦横学を説いたものではない、②兵法学を説いたものでもない、ということである。
強いて言えば、他人を説得する方法ということである。 昔の漢文でいえば「遊説術」とでも言ったら良いだろう。
  ― 中略 ―  
昔は王侯を説得した遊説術も、こんな現代社会で、対等な権利を持つ相手に対して、①相手が納得するように主張する、②相手が何を目的として、説得しようとしているかを読みとる、という観点で、極めて示唆に富んだものではあるまいか』と述べています。
います。
竹簡



<『鬼谷子』の概要>
◇捭闔(はいこう)<開閉>篇
  『鬼谷子』の根本であり、物事の本質を見極めた上で、的確な言葉と的確な沈黙によって相手を掌握することを説いています。 「捭」は口を開き言葉を発することであり、言葉によって相手を誘導したり、刺激したりして、相手の興味、嗜好、長所、個性など本質を探り出すことであり、「闔」は口を閉じ沈黙を守ることで、会話の最中に口を閉ざすと相手は戸惑い、自分の主張を止めて、こちらの意見を聞こうとします。つまり相手を沈黙させる手段です。 ここでは天下に生じるすべての万象は捭闔、剛柔、終始など全く異なった二面性(陰陽)を持っていることを明らかにしています。

◇反覆(はんぷく)<反応>篇
相手の本心を掴むには、相手を知り、自分を知る。自分を知ることが出来て初めて相手を知ることが出来ることを説いています。
「反」は相手の立場に立って、相手の角度から見、聞き、考えることです。
つまり相手を知る ことですが、その根拠になるのは過去から現在までの経過です。
もしはっきりしない点があったら何とか相手から聞き出さなければなりません。
「覆」は繰り返し自分の行動、思考を反省し、験すことです。自分の体験を繰り返すことであるので、その流れは当然認識も理解も出来、必然的結果として現在も未来も的確に予測出来ます。
「あの時こうしておけば、現在どうなっていただろうか」このような反省、検証によって、人生の流れを修正し、思い通りの結果へ導くことも可能です。話をすることは、自分の意志を表現することであり、沈黙している限りその意志を伝えることは出来ません。
また眼の動きや表情の変化で相手の意思を想像することは出来ても、それはあくまでこちらの想像ですので、相手の口からその意思を引き出さなければなりません。
こんな時、陥りやすいのが独りよがりの思い込みであり、正しい判断は望めません。
ここでの「反覆」はそれを戒める具体的な方法です。

◇内揵(ないけん)篇
ここから具体的な各論になり、君主(社長)の絶対的な信頼を勝ち取る具体的方法、巧みな弁舌、基礎となる人間性を説いています。
「内」は巧みな弁舌を用いることによって君主(社長)の懐に入り込み、取り入ることです。
しかし、トップに立つような人達は単なるゴマスリに惑わされるような人間ではないことは言うまでもありません。
「揵」は君主(社長)に対して計謀策(企画案)などを提出して取り入ることです。
「内」の目的は信頼を得ることであり、人間の情は時代によって変化するものではなく、今も昔も変わりありません。
心が通じ合うことが重要であり、腹を割って話せる信頼を得るための基本は①嘘を言わない、②いい加減な話をしない、③約束を守る、④きちんとした態度で人と接する、⑤勉強して知識を貯える、⑥しっかりした専門知識を持つなどです。
「揵」で進言しようと思ったら、まず君主(社長)がその時点でどんなことを考えているかを考えて、それに添うようにする必要があります。
そしてその案の長所と短所をはっきりと君主(社長)に話し、君主(社長)の心を迎えることが重要です。
昔から、聖人(優れた人材)が成功するのは、物事の実情を理解してその良否を予知し、万物を自分の味方にするからです。

◇抵巇(ていぎ)篇
状況に隙間が生じた時は、万物自然の法則では常に離合が繰り返えされているので隙間が生じるのは当然と考え、塞ぐべき時を判断できるかどうかを説いています。
抵」は塞ぐことであり、「巇」は隙間のことです。澗(谷)は水勢が増大すると山を崩すことになり、壁は隙間が原因となって崩れ、器は罅が原因となって壊れます。
隙間を見つけたら、そこを適切なもので補強すれば、壁も器も壊れることを防げます。
人間関係でも同じことが言え、状況に隙間が生じた時は、それを埋め合わせることで、壊滅を防ぐことが重要です。

◇飛箝(ひかん)篇

相手を掌握するには、相手の優れたところを称賛する。
そうすれば必ず好意的になる。部下の場合は重用することが第一であると説いています。
「飛」は相手の名声を作り上げて持ち上げることで、「箝」は相手を拘束して逃がさないことです。
「飛箝」は言葉を運用する技法と人の心を引き付ける技法のことであり、相手を自分の思い通りに利用する方法です。
そのためにはまず相手の才智と器量をはかり、気勢をはかり、名声をクローズアップして誉め、彼のために宣伝し(飛)、相手を感激させ喜ばせておいて、いろいろな技巧を駆使して拘束します(箝)。

◇忤合(ごごう)篇
自分が誰に反し、誰につくか。一つの計謀は二君に合うことはない。
自分がどちらの君主(社長)に付くかの判断を下すことについて説いています。
互いに背を向けることを「忤」と言い、互いに向き合うことを「合」と言います。
天下(会社)が乱れた時、並び立つ群雄が、それぞれどちらを向くかの問題があり、一方に「合」すれば、間違いなく片方とは「忤」となり「二君に忠する」ことはあり得ません。
「忤合」の術を使うには、自分が害を受けないように自分の意向は隠して相手を観察し、「事を成功させ、自分に合う」君主(社長)を一人選び、必ず「飛箝」の術を一緒に使うことです。

◇揣(すい)篇
天下の権勢、強弱をはかる要素と諸侯の内情の真偽を推量することについて説いています。
これは天下の権勢を推量する部分「量権」と人間の内情を推量する部分「推情」の二つの部分に分類出来ます。
「量権」とは国の財貨の多寡、人民の多少、地形の難易、参謀の知慮の長短、君臣間の人間関係、天象の時機の吉凶などすべてが推量の対象です。
「推情」は人間の本当の感情を伺い知ることであり、相手が極度に興奮した時、喜び好むことを探り知り、相手が極度に慌てた時、憎み恐れる対象を知ることです。
揣篇に下記のように書かれています。
『人間は非常に喜んだ時には必ず欲を極めようとし、欲のある限りその情を隠すことは出来ない。
また非常に恐れている時には極端に憎み、憎んでいる限りその情は隠ない。
情が内で変化すると、形は外に現われる。そのため見るところによって相手の隠れている事柄を知ることが出来る者こそ、深く推量出来る者である』 これこそ一般的には知られていない算命学の人間分析法が背景にあり、算命学を究めた者にとっては、相手の言動からその人間性や性格などを推量し、確信できることを示唆していると思われます。

◇摩(ま)篇
隠密裡に運ぶ術で、人に知られず成果を上げ、災いが来ないうちに消すことについて説いています。
「摩」は「揣術」の一種であり、「内府」は「揣術」の基礎であるといいます。
「内府」の「内」は情感が内に働くことで「府」はそれが外に現われることです。
内情と外見があたかも割符のように符号することから「内府」と名づけられました。
つまり情を推量することが上手な人は、外見を通して内情を知ることが出来ますので、「内府」は「揣術」の基礎であると言えます。そして「摩」の術が運用出来てその原理を会得すれば、隠密裡に行動出来、他人に察知されることはありません。
「摩」の道はまず内情を知り、その後改めて相手が望み期待しているものを順応させてやり、その上で相手の動向を探求すれば、内心での考え方は必ず表に表現されるので、それを見てとります。
内情がすでに外見に現れ出したら、相手に密着していればきっと相手の行動や所作に出会うことが出来ます。
相手を利用して、知りたいことを誘導しようと考えたら、必ず出てくる相手の反応に注目します。
そして密着して相手がすることを支配すれば、必ず上手くいきます。
これは釣りと同じでその魚に合った餌を付けて待っていれば必ず魚が釣れます。
「摩」を巧みに運用する人は、政を担当すると多くの成果を上げますが、その陰で計略や策謀を練るので常人は全く気付かないで「神」とさえ呼ぶようになります。

◇権(けん)篇

説得の言葉の技術で、確実に相手を狙いその相手に合った方法で確実に落とす言葉の技巧五種と話術の五忌を説いています。
「権」とは分銅のことで、つまり天秤ではかることです。
そしてこの篇の主旨は、①説得工作の進行過程で使用しなければならない言葉の技巧、②説得する対象、③慎み深くはかり、選択すること、を教えることです。
ここで重要なことは“天秤ではかる”という感覚的な判断が優先されることであります。
《言葉の技巧五種とは》
 ・佞言(ねいげん)= 相手を立てる発言で、忠義らしく見せること
 ・諛言(ゆげん) = 博識の飾り立てた言葉で、智者であるかのように見せること
 ・平言(へいげん)= はっきりした口調で、勇気ある人だと言わせること
 ・戚言(せきげん)= 策謀を的確に選んで進め、信頼を得ること
 ・静言(せいげん)= 自分の技量の不足を反省しながら、勝を得ること これらを環境条件の変化、相手の対応の仕方に
             応じて適時妥当なものを選択します。
《注意すべき五忌とは》
 ・病 = 病んでいると、気力が不足して言葉に気持ちが入りません
 ・怨 = 怨みを持っていると、内心を隠そうとして語気が激しくなり、言葉が乱れます
 ・憂 = 憂いを抱いていると、その心配事に気を引かれて適切が言葉を選べなくなります
 ・怒 = 怒っていると、情緒が激昂して言動が支離滅裂になります
 ・喜 = 喜んでいると、調子に乗り注意が散漫になり、話題の重点が把握できません
《対応の仕方の9分類とは》
 ①智恵のある人と話す時
   見識や博識ぶりを見せ、いろいろな例を引用して説得します
 ②見識の豊かな人と話す時
   ①とは逆に物事を処理する時の理屈を上手に使いこなします
 ③物事を処理する理屈をわきまえている人と話す時
   昔あった似た例を出して、処理法の要点を簡明にします
 ④官位が高い役人と話す時
   相手の権威を傷つけず、相手の権勢に相応した態度で話します
 ⑤金持ちと話す時
   言葉遣いや話の内容を相手の優雅さに合わせて、高尚で優雅なものにします
 ⑥貧乏で困窮している人と話す時
   こうすればいくら儲かるとか、いくらお礼するとか金額を細かく言うことです
 ⑦身分が低い人と話す時
   へりくだった言葉を使い、相手の緊張と警戒を解いてやります
 ⑧勇気がある人と話す時
   歯切れよく、リズミカルに話します
 ⑨愚鈍な人と話す時
   解りやすい言葉を使い、相手が迷うことのないようにします

◇謀(ぼう)篇
謀略を計画するときには一定の法則があることを説いています。 「謀」とは「はかりごと」の意味で、「謀略」「策謀」「謀議」などいろいろの熟語に使われ、その意味するところは皆同じです。
「謀(はかりごと)」を立てるには、ある一定の法則があり、それは相手には必ず拠り所としている根拠があるはずであるので、その根拠を見つけ出しそこから実情を探し出します。
そして実情が把握できたら次の上、中、下の三群のいずれに当てはまるかを考えます。
  ・上 ― 智恵が優れている者、
  ・中 ― 才能が優れている者、
  ・下 ― 愚鈍のまま振舞っている者
この三通りを「三儀」と呼び、相手はどの群に含まれるかを確かめて上で、それぞれの群に相応しい具体的な「奇計」を考え出します。
また、①相手の才能をはかり、②相手の能力をはかり、③相手の心情を推量することが拠り所を探し出す上で重要な役割を果たします。
日常社会では次々に生じる変化に応じて、新しい局面が展開し、予期しない事柄が起きます。
このように新しく起きてくる事柄に対して、応じていくには「謀」が必要となります。
「謀」には現実に合った計画が必要で、その上で議論が交わされ実行に移されますが、時々情況の変化に合わせた計画の修正が必要です。

◇決(けつ)篇
巧みに決断を下すには、決断のテクニックにプラス意志が必要であることを説いています。
事柄に疑惑がある時は、その疑惑をよくよく判断し、決断することが必要であり、決断に巧みな人は幸福な結果を得られるが、巧みでない人は誤った決定を下し、禍を招きます。
その原因は情況の変化を自分に都合の良い方に考えたり、外見に惑わされして判断した結果です。
つまり情況判断が間違っていて、過失を生じる状態であることを知り得なかったことに起因します。
昔の聖人が事をなし遂げるのに秀でていたのは、「五種」の手法で決断することを基本においていたからです。
  ・陽徳 = はっきりと恩徳を施して、人に感激させる手法である
  ・陰賊 = 暗い中で殺害して、相手の計略を抑止する手法である
  ・信誠 = 真心で人に接し、相手に自分を信頼させる手法である
  ・蔽匿 = 隠密裡に事を進め、相手に気取られない手法である
  ・平素 = 普段の態度で相手に接し、自分を熟知させる手法である
このうち「陽徳」「信誠」は<陽>のはっきりとした外に出した手法であり、「陰賊」「蔽匿」は<陰>の目立たないようにこっそり処理する手法です。
さらに「平素」の常道に従って昔からのしきたりを守るのと、「枢機」の昔の事柄の鍵を掌握することを併用することが大切であるとしています。

●誤解されている縦横家
『中国思想Ⅱ戦国策』の中の「揣摩の術」についての解説には「洛陽の貧しい家庭に生まれた蘇秦が、諸国の宰相にまで出世できたのは、すぐれた遊説術のおかげである。
相手の意向をおしはかり、おどしたりすかしたり巧みにツボを押さえて説く、かれ独特の説得術である。
それは「揣摩の術」(自分のこころで相手の心をおしはかる)であった。
舌先三寸の弁説で、諸国の宰相を兼ねる。いかにも実力本位の戦国時代にふさわしい話である」とあります。
また鬼谷子については歴代の学者は蛇蝎(へびやサソリ)のごとく見下し、縦横家を「弁士」や「詐欺士」と見て批判しています。
しかしこうした批判は偏っていて、決して公平とは言えません。
『鬼谷子』について張鉄君は「鬼谷子は、絶対に一種の言談術や雄弁術の類ではない。
その中に述べられている十九の項すべては、権、謀、策略について主要な原理を論じたものである」と述べていますし、宋人の高以は「私はいろいろな陰符を見てきたが、天を窮める運用、人をやっつける私欲、そして偽り匿す謀略はそんなに永続きするものではない。
つまり誠に当てにならない計略というわけだ。
しかし、鬼谷先生はすべて会得した上で、これを世の中に知らせている。
全くもって一代の英雄である」と礼讃しています。 身分の低い人間が一国の君主を騙すことが永続きするはずはありませんし、ましては宰相になるなど常識からしても考えられません。
これは縦横家の原点である算命学の人間分析学としての確かさと門外不出、一子相伝が完全に守られていたことの証明になっていると思われます。
 『ところで子平法を基にして縦横家を生み出したグループは「占い」を目的とせず、政治の流れや経済、軍事の動きを如何にして予知出来るかという「集団学」に動いて行きました。
このグループの特色はその後中国社会に大きな影響を与えた儒教との合流がなかったということで、そのため一つの学問として名を残さず、それを習得した人達が個々に名を残す形となりました。
そして「占い」が個人を対象とするのに対して、集団の占いということで「軍略学」となりました。
このような流れで縦横家を生み出したグループを「三命」と呼ぶようになり、その流れを伝承しているのが「算命学」です』

意外と知られていない縦横家



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